マイクロ波の生体への相互作用

  その議論の前提・枠組の妥当性と基礎物理学

                      2006216日リンク修正版)

        東北大学大学院理学研究科物理学専攻  本堂 毅[a])

 

  キーワード: 電磁気学、境界値問題、エネルギー保存則、熱力学第2法則、物理教育、相対性の原理(静磁場・交流磁場)、生体の非線形・非平衡性、

英文和訳、公理系(22≫74)

 

概要

電磁場の生体への影響を考えるに当たって、欠かすことの出来ないものは電磁気学をはじめとする物理学の基礎に対する最低限の理解である。仮にその理解が誤ったものであれば、その上に築かれる議論(の枠組み)と結論は真実と反する非科学的なものとなる。本稿では、生物と電磁場の相互作用に関わる物理学の基礎を復習する。ここで取り上げるものは、エネルギー保存則、熱力学第2法則など、いずれも自然科学の根幹をなすものである。環境電磁工学等の“専門家”の中に流布する、初等物理学(科学)に関する誤った理解(主張)を、具体例を挙げながら明らかにし、正しい議論の枠組みを考える。身近な問題を通した、理科教育の教材にもなるよう解説を試みる。

 

1.   はじめに

エネルギー保存則をはじめとする数々の物理法則。私たち、物理に携わる者は、自然の中から様々な法則を見いだし、その法則の普遍性と、その普遍性が破れる所である適用限界を明らかにする作業を続けている。適用限界が見いだされれば、そこに新しい科学の「芽」がある。そのような作業の繰り返しから、まだその一部には過ぎないけれど、自然の理を垣間見てきた。時に、自然の従う法則は、私たちの予想を遙かに超えるものである。科学の歴史を顧みれば、研究が急激な進歩を遂げた後には、それ以前の(旧来の)ものの見方が偏狭なものであったことに気づかされ、人間の自然認識の限界性にも気づかされる。

 すべての科学の中で、物理学の法則ほど普遍性の高いものは多くないだろう。その普遍性を実現させている要因の一つは、物理学の扱う系の「単純さ」にある。生物系などを考える際に物理の研究者が戸惑うことは、その系を支配する要素が多いことである。微視的モデルから出発する物理学の枠組みは、少数の要素の集まりには大きな有効性を示すが、多数の要素が複雑に絡み合う系に対しては、必ずしも力を発揮できない。

 一方、物理学には系の微視的詳細には無関係に成り立つ法則が存在する。すなわち、エネルギー保存則であり、熱力学の諸法則である。それらを用いて、私たちは系の詳細に拘泥することなく、その系の持つ性質の大枠を理解することが出来る。研究は時として「木を見て森を見ない」落とし穴に陥る。そのようなことに陥らないために、私たち科学者は、常に大きな枠組みから対象(系)を見ることをトレーニングされる。エネルギー保存則や熱力学は、私たちが自然を研究するときの最も基本的な指導原理と言える[b])

 この稿では、この物理学の、そしておそらく科学の最も基本的な指導原理を振り返り、これをいわゆる「電磁場問題」に適用してみる。私たちの知の有限性に対する補償(compensation)としての「予防原則」の必要性以前に、既知の基本的自然法則さえ正しく理解されずに用いられてしまい、しかも誤った認識が繰り返し広められている現状のあることを明らかにしたい。水俣病、薬害エイズ・ヤコブ病などと同じく、「専門家」と称する人たちが、誤った認識を繰り返し流布させている現実が存在する。物理教育の面からも見過ごすことができないことである[c][[1]]。

 

2.   エネルギー保存則

物理学において、そしておそらく自然科学において最も重要な法則が「エネルギー保存則」であることに異存はないであろう。物理学の発展は、エネルギー保存則は満たされるはずだ、との確信のもと、未知のエネルギー形態(物質)を見出すため、不断の努力を続けてきたことに多くを負っているとも考えられよう。

 

 2−1.電磁波とエネルギー保存則

 エネルギーは様々な形態を取る。時には熱エネルギーの形を取り、ある時には電磁場のエネルギーとして、例えば電磁波の形で空間を伝播することもある[[2]](エネルギー形態の違いによる自由エネルギーの問題については後述する)。

しかし、どのような形態を取るにせよ「エネルギー」自体は常に保存される量である。従って、例えば電磁波のエネルギーが一定空間に留まる場合には、そのエネルギーは、系(空間)全体として保存される。電磁波のエネルギーが物質との相互作用によって、その形態が“最終的に”熱に変わったとしても、すべてのエネルギーの和は不変である。その例を、ごく身近な実験を通してみてみよう。家庭でもすぐに出来る実験であるから、是非読者ご自身で楽しんで頂ければと思う(物理教育の素材としても有用だろう)。

 

実験(エネルギー保存則の確認):                          

 用意するもの

1)      電子レンジ[d]) [[3],[4]]

 (ごく普通のもの、ターンテーブル付きで着脱できるものが望ましい)

2)      温度計(体感でも可)

3)      カップ(湯飲み茶碗でも可)

 

 実験手法の一例(プロトコル)

  〔1回目〕

1.                  レンジのターンテーブルを取り出す(カップの場所を固定するため)

2.                  カップに一定量の水を入れ、温度を測る(温度はA度)。

3.                  カップの水を電子レンジで一定時間(例えば1分間)暖める。カップ内の水の温度を調べ(B度)、温度上昇を計算する(B−A度)。

  〔2回目〕

1.                  カップに1回目と同量の水を入れ、温度を測る(温度はC度)。

2.                  1回目とは異なった場所にカップを入れ、同じ電子レンジで1回目と同じ時間暖める。

3.                  カップ内の水の温度を調べ(D度)、温度上昇を計算する(D−C度)。

 

図: 実験の一例(この電子レンジでは、マイクロ波は右側面から庫内に入る)

レンジ使用前の温度(温度A, C度)を測る        

(後ろにあるのは、外したターンテーブル)。

 

マイクロ波発振器に近い場所で暖める。

 

マイクロ波発振器から遠い場所で暖める。

 

電子レンジで暖めた後、温度を測る(温度B, D度)。

 

   測定例(水150cc, 各3回の実験)

 

最初の温度

加熱後の温度

温度上昇

発振器から近い場所

 18℃

51℃〜54

33℃〜36

発振器から遠い場所

  18℃

52℃〜53

34℃〜35

 

 電子レンジのどこに入れても、カップの中の水の量が同じであれば、電子レンジで1分間暖めた時の温度上昇は変わらないことが確認出来る(正確な実験のためには、加熱後、水を良くかき混ぜてから温度を測ること。水は上下で温度差が生じる。また、電子レンジは一般に間欠発振を行うため、その場合平均出力と定格出力は異なる)。温度上昇が変わらないのは、電子レンジ内で発生させられたマイクロ波のエネルギーが、殆どすべて、最終的に水の熱エネルギーに変換されたためである。これはエネルギー保存則が導く結論である。電子レンジで飲み物を暖めるときに、大きな食品、より熱くしたい食品の場合、電子レンジの加熱時間を長くするという生活体験とも一致している。この場合、コップを置く場所によって暖まり方が異なることはない。コップとマイクロ波発振器との距離と暖まり方には関係がない。水の暖まり方は電子レンジの「出力」のみに依存する。

 

 3.エネルギー保存則を否定する主張(専門家たちのObjection)

昨年、新聞に次のようなコメントが掲載された「携帯電話と、反射する壁までの距離が遠ければ電磁波強度は減衰するし、実際に基準値を超過する事態は起こりにくいのでは」(朝日新聞200263日夕刊)。これは、総務庁電波環境課が、筆者が書いた論文[[5]]に対して語ったコメント(objection)である。その論文は、金属の車体で囲まれた電車内で複数の利用者が携帯電話から電波を発した場合、その電波が金属製の車体で反射され、かつ重複することによって被曝レベルが上昇することを述べたものである。総務省のコメントの内容は、その直前にBBCに掲載された英国の“専門家” Prof. Les Barclayのコメント[[6]]と同じものであった。彼は Signals from the antenna and mobile phone decrease very rapidly as you move away from the phone.  By the time a signal has been reflected by a distant wall it will be at a very low level.と語り、電車内のような反射的空間に於いても電磁波の反射の効果は無視できると結論している。これは科学的に正しい主張なのであろうか?

 問題を整理してみる。電車は金属で出来ているので、窓を除けば、携帯電話の電磁波(マイクロ波)に対して反射的境界条件を持つ系である。そのような反射的な系にあっても、壁までの距離が遠ければ電磁波は発信源から距離の自乗(2乗)で減衰し、反射の効果は無視できるとするのが、“専門家”たちによって主張されていることである。一見正しく思えるかもしれない(?)。そこで、仮にこの主張を認めてみよう! その導く結論を見れば、この主張の正当性を判断できるだろう[[7]]。

 簡単のために、電車を大きな電子レンジのような系だと考えてみよう。現実には電車内には窓があるため、内部で発射された電波の一部は窓を通って外部に漏れる(窓の面積は、電車内部の表面積の1割程度)。しかし、専門家の主張は、そのような漏れの有無とは関係なく、“壁が遠ければ、反射する頃には電波が弱くなるから反射が効かない”というものだから、ここでは、窓などの効果は簡単化のため取り除く。無論、窓の効果を入れても、結論は質的に変わらない[5]。通常のエレベーター等では、電子レンジは定量的にも優れた近似である。

 さて、専門家たちの主張を認めれば、電子レンジの発振器の近くで水を暖めた場合には、遠くで水を暖めた場合よりより早く熱くなることになる。遠くで暖めた場合には、発振器からの電波は壁までに達するまでに強度が弱くなってしまい、遠くに置いたコップに反射を経て届く電波は弱くなっているはずだから。一方、発振器から出る電波のエネルギーは、コップが近くにあろうと、遠くにあろうと変わりはない(一定)。コップが遠くにあるときには、近くにある時よりもコップの水の温度上昇が小さくなるのだから、水の温度上昇に変換されるエネルギーは、コップの距離によって異なることになる。すなわち、発振器から出たエネルギーの内、コップが遠いことによって水の温度上昇(熱エネルギー)に変換されなかったエネルギーが存在することになる。コップが遠いとき、「チン」した後レンジの扉を開けたら、コップの水に吸収されず溜まっていたマイクロ波が飛び出てきたという話は、筆者は聞いたことがない(筆者の勉強不足でしょうか?)。総務省や“専門家”たちの主張を認めれば、エネルギー保存則は破られることになる。

 ここで、先ほどの電子レンジでの実験を思い出してみよう。ターンテーブルを取り、場所を固定して水を暖めたとき、その水の暖まり方は場所を変えても変わらなかった。この結果は、エネルギー保存則と確かに一致するものだった。電子レンジは、安全性の理由で電磁波(マイクロ波)が外に漏れないように作られている[e])。従って、マイクロ波発振器から生じた電磁波エネルギーは、基本的にそれと同じ分だけ水に吸収される。どこにコップを置いても、暖まり方は変わらない。電磁気学の細かい式など計算しなくても、エネルギー保存だけから直ちに導かれる結論である。家庭で出来る実験で直ちに確認出来るレベルの、普遍的な結論である。

 “専門家”であるエンジニアたちは「壁までの距離が遠ければ反射は効かない」と主張し、その主張の誤りを認めない。それならば、筆者は具体的な実験を提案したい。巨大な電子レンジとなる装置を見いだせばよい。核融合で使われるトカマク炉などが好適であろう。そこに、一方からマイクロ波を入射させて、コップで水を暖める。エンジニアたちの主張が正しければ、発振器から離れたコップの水は暖まらないことになる。なぜなら、巨大な電子レンジでは家庭用の電子レンジよりも壁までの距離はずっと遠くて、ますます「反射は効かない」はずだからである。

 確かに、物理学の法則であるエネルギー保存則は、経験から導かれた経験則であり、その意味では常に正しいとは限らない[[8]]。実験等による検証を受けなければならない。しかし仮に、マイクロ波についてエネルギー保存則が破れていたとすれば、これまでの物理学の一番の基本が崩されることになるのだから、その科学的発見は、ノーベル賞数百個分に相当するだろう。筆者が彼らに具体的な実験を提案する理由もここにある。

 筆者自身の自然科学的センスでは、このようなところでエネルギー保存則が破れているとは思えない。また、壁までの距離が遠ければ反射は効かず、その結果、反射は無視できると答えた学生がいたなら、残念ながら大学初年級の電磁気学の授業でさえ、その学生に単位を認定することは出来ない[f])(ましてや大学教員がそのような発言をしたら、授業担当を外される)。電磁気学が境界値問題であること、エネルギー保存則を満足することをその学生が理解していないことが明らかだからである。これは、あたかも部屋や教室、コンサートホールの音響を考えるときに、いつも無響室と同じ境界条件でよいと主張していることと同じである。そのような理解が誤りであることは、音響学の、日常体験の常識からも明らかである[[9]]。電磁波のエネルギーが距離の自乗(2乗)に逆比例して減衰する(逆自乗則)のは、反射の無い境界条件で単位立体角当たりの面積が距離の自乗に比例して増えるからであり(ガウスの法則)、これが反射で戻ってくる場合、トータルのエネルギーは減少しない。従って、反射面の形状次第で、電界の集中を起こす危険もある。

 「環境電磁工学」のエンジニアたちは、これまでの基礎科学に真っ向から矛盾することを主張し続けている[g])。現実世界において、この誤った主張に基づいてペースメーカーへの安全ガイドラインなどが決められており[[10]]、論文やジャーナリズムに於いてその主張の根拠が誤っていること(反射や重複を考えるべき事)が指摘された後にも、是正されず繰り返し用いられている(総務省、2002年7月の報道資料[[11]])。2003年9月に導入された首都圏鉄道各社の、車内での優先席以外での携帯電話利用是認措置もこのガイドラインのみが安全性の根拠にされた。車内では単にペースメーカーへの影響だけではなく、デジタル補聴器装着者やいわゆる電磁波過敏症に罹患した市民等への急性被害も報告されており、慢性疾患への潜在リスクも存在する。しかし、首都圏の鉄道各社はこれらのリスクも一切考慮せず、今回の措置を導入したそうである(2003年10月,     JR東日本本社の話)。

 エネルギー保存則が成り立つならば、当然、反射的な境界条件の系では電磁波は距離の自乗で減衰せず、その反射材の配置によっては、遠く離れた位置まで強く伝わる[h])。「何センチ離れれば安全」などというガイドラインは、牧場で一人携帯電話を使うときだけしか意味を持たない類のものである[i])。反射的境界条件の効果は、そのメカニズムから分かるように、電車の車内に限られず、普遍的に生じる[[12]]。エレベーター、プレハブ住宅などでも無論である[j])。物理学の初歩に関する不理解は、その法則の普遍性故、様々な系で雪崩式に、誤った結論を導くことになる。物理学の長年に渡る検証に磨かれてきた「エネルギー保存則」を、なんらの実証的(科学的)裏付けもなく否定されてもらっては困るのである[[13]]。

 

 4.「マイクロ波=熱源」? マイクロ波の熱的作用と非熱的作用

マイクロ波帯の電磁波の生体への相互作用については、「熱作用」のみが確立された相互作用であると主張される場合がある(旧来のICNIRP[k]ガイドライン[[14]])。その主張においては、「熱作用」以外は「非熱的相互作用」とされている。携帯電話1台の出力はせいぜい1ワットのオーダーであるから、マイクロ波の効果は(白熱灯などとの比較からも分かるように)熱源と見なした時には大きくないかもしれない。しかるに、本研究会で議論された電磁波過敏症などにもみるように、現実には熱作用以外の相互作用が、疾病レベルでも報告されるようになってきた[[15],[16]])。

 電磁波の生体への効果を熱と同一視する議論が少なからず見受けられるが、ここにも初等物理学に対する浅薄な理解が根本に認められる[[17]]。これは、電磁波の生体影響に関する実験の解釈にも関わるものである。マイクロ波の生体影響を考える際の混乱を避けるために、ここで電磁波と熱との違いを熱物理学の立場から少しばかり整理する。

 前章まではエネルギー保存則を解説し、エネルギーという量は、移動することはあっても消えて無くなることはなく、全体でみれば一定、つまり“保存”する量であることを述べた。本章では、同じエネルギーという名称を使っていても、質的に異なる量、「自由エネルギー」という物理量を考える。私たちが日常“エネルギーを使う”と言う時の“エネルギー”は、前章での“エネルギー”よりも、この「自由エネルギー」を意味することが多い。実際「自由エネルギー」は保存量ではなく、“使用”されることによって減少する量である。この自由エネルギーを理解することで、電磁波の“熱効果”と“非熱的相互作用”の違いを述べる。“非熱的相互作用”こそが、電磁波に特徴的(固有)な相互作用であることが分かる。

 

 4−1.電磁波と熱の違い

 前章で「エネルギー保存則」について述べた。そして、このエネルギー保存則の帰結として、反射的境界条件では電磁波のエネルギーが離れた場所にも(自由境界条件に比較して)強く届きうることを述べた。このエネルギー保存則は、電磁波と熱に対しても当然適用される。例えば、電子レンジで水を温めた場合を考える。その際には、電子レンジで発生した電磁波のエネルギーが600ワットであれば、その中のコップの水の発熱量も原理的に600ワットとなる[l]。ここに、電磁波(マイクロ波)の生体影響を熱のみで考えてしまう「俗説に陥る仕掛け」がある。

 例えば車を動かすことを考えよう。この時には、「ガソリン」を燃やし、その「エネルギー」を使ってエンジンから動力を取り出す。でも、エネルギー自体は「保存」されるから、たとえガソリンを燃やしたとしても、地球全体で見たときに、そのエネルギーの総量は変わらない(地球外への放出は、いまは考慮しないとする)。では、何が車を動かすことに使われたのだろうか?

 それは、「自由エネルギー」と呼ばれるものである。私たちは「エネルギー」という言葉を、普段はあまり深く考えずに使っているが、実際に「使われる」ものは自由エネルギーである。自動車が動くときには、この自由エネルギーが使われ、車が走る前後で「自由エネルギー」が減少する。自由エネルギーの減少は、系全体のエントロピーの増加に対応する。この「自由エネルギー」が、「熱」と「電磁波」の違いを記述する[[18],[19]]。

 熱力学は、「孤立した系においては、エントロピーが増加する現象だけが自発的に起こる」ことを要請する。言い換えるならば、自由エネルギーが減少する過程のみが、自然界で自発的に起こりうる。

 「電磁波の熱効果」というものは、電磁波が生体と相互作用して、ミクロに様々な物理過程を引き起こし、その結果エントロピーが増加した後の状態[m]のもたらす相互作用である。従って、自由エネルギーを通して見れば、熱効果というものは、電磁波が持つ“使える”自由エネルギーが殆ど「失われた」状態からの「生体との相互作用」である。いわば、死んだエネルギー状態からの相互作用である。電波(特定の周波数を持った電磁波)は熱になるが、熱は電波(特定の周波数を持った電磁波)にならない。電子レンジ(のマイクロ波)でお湯を沸かすことが出来ても、そのお湯から電波(マイクロ波)が出ることはない[n](あったら恐い!)。この「不可逆性」が何よりの証拠である。

 

             電波→→→→→→→→熱

             電波←−−−×−−−熱

     エントロピー:  小        大

     自由エネルギー: 大        小

 

 このことに気づけば、「熱的相互作用」というものが、エネルギー当たりの生体への相互作用として最も「不活性」なものであることが理解出来る。「熱化」されたエネルギーが不活性であることについては、地球環境問題に言及するまでもなく、自然科学者の基礎知識である。この「熱的相互作用」を除いた相互作用を意味する「非熱的相互作用」が、「熱的相互作用」より低い被曝レベルで生体へ影響を及ぼすことも、もはや明らかであろう。非熱的相互作用こそ電磁波本来の“高い”自由エネルギー状態を“生かした”相互作用だからである。従って、「非」熱的相互作用という呼び方は、熱的相互作用が本質的相互作用であるかのような誤解を生じさせるという意味で“misleadingな”言葉遣いである。電磁波の、電磁波本来の性質(自由エネルギー)を最も「失った」ものが熱的相互作用である。「非熱的相互作用」こそが、電磁波「本来の」性質から生まれた相互作用であることは、強調されなければならない。

 また、熱的相互作用が「再現性」が高く、「非熱的相互作用」が環境条件によって多様な事象(生体相互作用)を起こすことも不思議ではない。熱的相互作用は、電磁波が「熱化」しきった状態での相互作用であり、物理学的に「安定性」の高い、すなわち自由エネルギーの低い状態での相互作用である。安定性の高い状態に強い再現性が生じるのは当然のことである。一方、電磁波本来の相互作用である「非熱的相互作用」は、自由エネルギーが高い状態から、そのエネルギーが使われ熱化していく「過程」で生じるものである。従って、この時点での系の微視的なパラメターの詳細に大きく依存するはずである。ましてや、生体という莫大なパラメターを持った高度な非平衡・非線形系との相互作用である。単純な物理系と同じ再現性を仮定する態度こそ科学的に浅薄である。すなわち「非熱的相互作用」に「熱的相互作用」と同様の再現性を要求し、それが成り立たないことをもって否定する議論は乱暴なのである[o]EU議会の報告書にも、「熱的相互作用」のみに依存する議論とガイドライン(ICNIRP等)は科学的に不適当なものであることが明記されている[[20]]。

 

 4−2. 予防原則の科学的根拠と“非熱的”相互作用

 ICNIRPの委員でもある環境電磁工学者の多氣昌生氏はその著書の中でこう述べている。

『最近、欧州のいくつかの国でICNIRP防護基準よりずっと厳しい値で電磁界を規制する動きがある。電磁界に未解明の健康影響の可能性が否定出来ないという「予防的な政策」とされる。これは科学的な根拠によるものではないことに注意しなければならない。』[[21]]

さて、電磁波に対して予防原則[[22]]の適用を求める主張には科学的な根拠がないのだろうか?

 これまでの研究によって、生物の膜チャンネルに対する影響[[23]]、脳血管関門[[24],[25]]や熱ショックタンパク質[[26]]への影響など、マイクロ波の生体影響が現在の(急性の熱的影響のみが考慮された)ICNIRPガイドラインよりも数桁低いレベルで繰り返し確認されている[[27]]。現在科学的に未解明であるものは、そのような生体影響と疾病との関連の証明であって、生物学的影響自身の存在は既に明らかである[[28]]。さらには、アトピー性皮膚炎[16]や電磁波過敏症[15]との関連をはじめ、疾病との関連を指摘する多数の研究が既に報告されている。これらの科学的知見が予防原則の根拠であり、先に挙げたEU議会の報告書[20]や英国保健省[[29]]の勧告などの根拠に用いられている[p]。「予防原則」の背景には、「危険性が完全に証明されてからでは、被害を防ぐことが出来ない」[q])という、私たちが歴史から学んだ教訓がある。水俣病や薬害エイズ、ヤコブ病などを思い出すとき、多氣氏のような主張で被害を未然に防ぐことが出来るのだろうか? 氏のような“専門家”には、この問いに明確に答える義務がある[r][[30]]。職責が存在する。

 私たちが自然について理解していることは僅かばかりであり、その系を支配する方程式を完全に知った(書き下した)としても、現実系の多くはカオスを内在するから「予知」が困難となる[s])[[31],32]。この卑近な例として、パチンコを思い出してみよう。球を弾くとき、その強さのほんの少し違いで、その球が最終的にどこ(のチューリップの近く)に落ちてくるか、大きく変ってしまう(手動パチンコだと、より直感的に分かる)。これは、打ち込まれた球が、沢山並んだ釘に衝突したとき、その衝突の仕方によって、跳ね返される方向が大きく変わり、その結果、球の進む道が分かれてしまうからである(軌道の不安定性)。パチンコでは、このような釘が何列にも並んでいるから、球はこのような不安定性に何度も繰り返し遭遇する。このメカニズムのため、ほんの少しのさじ加減で決まる球の「初期速度の違い」が、チューリップに至る頃には大きく「増幅」されてしまうのだ(初期値敏感性)。このようなカオス的現象は、何もパチンコに限らず、自然の至る所にある。非線形・非平衡性をその本質とする生物においても、細胞レベル、組織レベルなど、あらゆる階層で生ずる。教科書に書いてある、線形で予測の容易な系は、自然界全体の中では、むしろ例外的な系なのである(問題が容易に解けるから、入試問題としては便利である)。そのような単純な“例題”を、さも自然現象のすべてであるかのように“勘違い”し、旧来の単純な描像に合わない結果を「結果に一貫性がない」として切り捨てる態度があったとすれば、それは最も「科学」から遠い、傲慢な態度と言わざるを得ない。蔵本由紀氏の近著に、私たちの社会が備えてしまった「知のゆがみ」についての深い洞察を見ることができる[[32]]。

 

5.おわりに:基礎科学の大切さ

 本稿では、エネルギー保存則と熱力学という、基礎的な物理法則に立ち返ることで、電磁場と生体の相互作用に関する議論の“前提”に誤った「科学」が用いられていることを明らかにした。本稿で詳しく述べたように、電磁波が距離の自乗で減衰する(r逆自乗則)という主張は、反射が全く存在しないという極めて特殊な境界条件(自由境界条件)下でしか成り立たないものである。“専門家”と称されるエンジニアたちはこのr逆自乗則の適用限界を理解せず、電車の中のような反射的境界条件の系でも、常に成り立つと「仮定」して議論を行っている。完全な誤り[t]である。エネルギー保存則という、科学に於いてもっとも基本的な法則さえ理解していない[u]。従って、そのような誤った出発点(仮定)から導かれたガイドラインなどには妥当性(科学的正当性)などあろうはずがない。非熱的相互作用等も含め、“専門家”たちの多くは科学の基礎を根本的に理解していない[v][[33]]。

 初等科学の適用の誤りが取り返しのつかない被害をもたらした歴史については「もんじゅ」の例[w]を挙げるまでもない[[34]]。このように、新しい科学的問題を考える時には、常に科学/物理学の基礎に戻って考えることが必要であることを強調したい[x]。基礎物理学/理学の社会的役割はここにもある[32,33,[35]]。

 本稿では詳しく述べなかったが、非線形・非平衡物理の理解の重要性も指摘しておきたい。ICNIRPの議論などでは、電磁場の刺激に対する反応、すなわち応答特性(dose-response relation)として、常に“線形”あるいは“単調”な応答が求められ、これに合わない実験結果は「不自然」とされ、ガイドラインの科学的根拠として棄却されている[14]。そのような議論はあまりにも単純なものの見方であり、生物が高度の非線形・非平衡系であることを思い出せば、それこそ「不自然」な枠組みではなかろうか?

 非単調な刺激応答曲線(window現象)は、比較的単純な振動粉体系[[36]]でも確認される非線形・非平衡系でよく知られた現象である。実際、マイクロ波に対する脳波の影響[[37]]や、低周波磁場に対する血球の応答[[38]]等の実験研究が興味深い結果を報告している。これらの論文では、同じ実験結果であっても、線形性を仮定する旧来の解析では電磁場の影響について統計的有意性が確認出来ず、非線形性を考慮した統計解析では統計的有意性が確かめられる例が示されている。これは、統計的有意性が否定された結果の中に、解析手法の未熟さから影響の存在を見逃していたものが含まれていることを示している。研究の「デザイン」が悪ければ、「有意」な結果(影響)を見落とすのである。

 筆者らが行ったカオスノイズの多重安定系に及ぼす影響に関する研究[[39]]においても、より単純な系に於ける例を見ることが出来る。私たちはホワイトノイズと同じ平均、分散、及び自己相関関数を持つカオスノイズを知っている。では、上の意味で同じ統計的性質を持つカオスノイズとホワイトノイズを多重安定系(例えば周期ポテンシャル)に与えた場合、生ずる時間発展は同じであろうか?結果は全く、すなわち質的にも異なったものとなる[39]。そのような違いを生じさせる要因に、(ノイズを受ける)系の多重安定性がある。系が非線形性を持つとき、“一見”同じに見える2つのノイズに対して、系は異なる応答を返すのである。このような場合、2つのノイズ(ホワイトノイズ、カオスノイズ)を特徴づけるのに、平均、分散および自己相関関数というありきたりの統計量にだけ頼っていては不十分なのである。

 一般に系の非線形性やカオスの決定論性を見落とせば、本質的に異なる時系列のデータを同一のものと見誤り、系の時間発展に関して誤った予測(結論)を導いてしまうのである。すなわち、高度に非平衡・非線形である生物系への電磁場の相互作用については、Marinoら[37,38]が指摘するように、非線形・非平衡系の十分な知識なくしては、問題の存在を見逃すことが起こる[y]。非線形・非平衡系への深い理解無くして、電磁場の生体への相互作用を十分に理解することは出来ないのだ。逆に考えれば、生体と電磁場の問題は非線形・非平衡系物理学(科学)の格好の舞台になりうるのである。

 本稿が、電磁場の生体への影響という社会問題、生体を電磁場を通して理解したいという生物学的興味、そして、非線形非平衡系の物理の舞台としてこれらの自然現象を考える時、その入り口に於ける“ものの見方”の参考になったとすれば、著者にとって望外の喜びである。

  本原稿執筆にあたっては、特に阪大・物理の菊池誠氏に多くご教示を頂いた。また、村瀬雅俊氏、佐野雅己氏と沢田康次氏には、原稿に目を通して頂き、貴重なコメントを頂いた。記して感謝します。

 

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【付録1】低周波電磁場と相対性の原理

 本原稿では、主に高周波電磁場に焦点を絞って解説を行った。ここで、物理的な観点から見逃せない点があるので、低周波電磁場に関する点にも言及する。

 直流磁場は交流磁場と異なり、誘導起電力を生じないため安全性が高いという主張がある。この主張には、電磁場の“相対性の原理”を理解していないという本質的な見落としがあることを指摘したい。磁場が“静磁場”であるというとき、私たちは言外に特定の(特殊な)座標系を想定していることを忘れがちである。すなわち、静磁場はそのような座標系を「仮定する」ことによってのみ定義出来るものである。磁場を被曝する者(に固定された座標系)が、静磁場が定義された座標系に対して相対的に動いているとき、被曝者の座標系から見たならば、特殊な外部座標系に於ける“静磁場”は、被曝者にとっては“変動磁場”に見える。さらに被曝者が、静磁場が定義された座標系に対してマクロに静止していたとしても、生体内の諸器官は時間と共に空間移動しているから(F1モーターなどは高速回転している)、やはり“静磁場”の効果は“変動磁場”と変わらない[z]。物理的に意味のあることは、いわば「磁石と(着目する)回路との“相対的な”運動」である(例えば、長岡洋介、 「電磁気学II」 p.220 岩波書店 (1983))。自然現象が、観測という“人為的な”行為に用いられる座標系に依らないことは、もちろん科学の基本である。従って、静磁場と交流磁場を区別することには意味がなく、静磁場にも、交流磁場と同様の生体影響が起こりうる。

 

【付録2】ICNIRPガイドラインの和訳について

 ICNIRPガイドラインに於ける和訳に適切とは思えない(不明確な)表現が多数見つかっています[14]。その代表例を原文である英語、及びフランス語訳と共に記します。ICNIRPガイドラインで最も重要な、基本制限と参考レベルに関する記述の部分を例に挙げます。日本語訳をご覧になる前に、次の原文を翻訳してみてください。

 

原文(p.508右段):

If measured values are higher than reference levels, it does not necessarily follow that the basic restrictions have been exceeded, but a more detailed analysis is necessary to assess compliance with the basic restrictions.

 

ご自身での翻訳が終わったら、次の日本語訳と比べてみてください。

 

日本語訳ICNIRPのホームページ[14]にある日本語訳の22ページ目):

また計測値が参考レベルより高い場合でも、これは必ずしも基本制限をこえていることにはなら、基本制限を満たしているかどうかを評価するためにより詳細な分析を必要と判断されるだけである。

(波線は筆者による)

 

・大学入試の英文和訳として許される範囲でしょうか?

・それ以前に、科学論文の文章として適切でしょうか(原文とは独立に)

 

ICNIRPガイドラインは、他の言語にも翻訳されています。参考までにフランス語訳を引用します。

Les niveaux d'exposition de reference sont fournis a des fins de comparaison avec les valeurs mesurees des grandeurs physiques ; le respect de tous les niveaux de reference donnes dans le precedent guide assure normalement la conformite aux restrictions de base. Si les valeurs measures sont superieures aux niveaux de reference, il ne s'ensuit pas necessairement qu'il y ait depassement des restrictions de base ; une analyse detaille est necessaire pour savoir si les restrictions de base sont respectees ou non.

こちらでは原文が正確にフランス語に訳されていると思います(印刷の都合上、アクセント記号を省略しました)。科学的な報告書・論文等に翻訳が付けられる際には、責任を明記するために翻訳者名を付けるものです。しかし、日本語訳には翻訳者名が見あたりません。いずれも、ICNIRPのホームページに掲載されているという意味で「公式」の報告書です。

 



[a]) hondou@cmpt.phys.tohoku.ac.jp

   本研究の一部は 文部科学省在外研究員としてキュリー研究所滞在中に行われた。

[b])  量子力学の黎明期に於ける熱力学の役割を思い出したい。

[c]) 誤った認識が社会的に流布する時、専門家(あるいは、その集団としての学会等)に対しては、その誤りを正すことが社会的に要求される。これを行わざること、すなわち「不作為」には、相応の責任が生ずる。

[d])  電子レンジに使われる領域のマイクロ波については、例えば、その熱効果(吸収)のメカニズムに関しても誤った理解が広く流布されている。例えば、安井至氏はその著書の中で誤った解説を行っている(「環境と健康-誤解・常識・非常識-信じ込んでいませんか?」丸善(2002))。この本では、携帯電話の危険性が電子レンジの加熱作用と同じものであると説明され、日本に於ける電子レンジの周波数が2450MHzであることから、1000MHzないし3000MHzの周波数が「危険」な周波数帯と記されている。この記述は誤りである[3]。水によるマイクロ波吸収スペクトルは、遙かに高い周波数で最大になる。そもそも3000MHz領域の波長は10cmのオーダーであるのだから、H2Oの分子内固有振動とは全く異なる(ケタが違う)周波数領域である。2.45GHzは科学的に意味を持つ周波数ではなく、電波の割り当て上決められた「人為的な」周波数に過ぎない[4]。無論、「熱効果」はマイクロ波による生体影響の「一つの効果」に過ぎないことも、本稿及び本研究会全体を通しても明らかであろう。

 

[e]) 同じマイクロ波でも、外に広がって行かないと通話が出来ない携帯電話とは、この点で質的に異なる。

[f]) 2003年度前期、筆者が東北大で行った「電磁気学演習」受講の2年生の学生に「離れれば反射は効かない」という「説」を紹介した。学生たちはこの「説」の誤りを、その理由と共に説明出来た。俗説に従うのではなく、自分の頭で考えることの重要性を理解し、自信をつけたようだ。その意味では、物理教育[1]の格好の「教材」である。

[g]) 実際にトカマク炉にでも入って頂き、自説の正当性を実証することもお勧めしたい。彼らの説が正しければ、それは自然科学に多大な貢献をするはずである。

[h]) パラボラアンテナの原理を考えてみよ。中華鍋を使って電磁波(電波)を遠くに強くとばす実験も有名である。導波管が、反射のメカニズムを用いて作られていることも、電子工学の常識だと思うのだが(少なくとも、筆者が電子工学研究科在籍中は、周りの人たちは全員知っていた。現在の物理学科においても同様である)。

[i]) 平成9年度の報告書(ガイドライン)[10]の根拠となったペースメーカー等への干渉実験ではNTTドコモの特定の携帯電話機種だけが用いられている。一般に携帯電話は機種によって電波の放射効率が異なることから、ダイポールアンテナを用いた実験をもって最悪条件に代えられている。この場合の最大干渉距離は74cmである。一方、ガイドラインでは 22cmが安全距離とされており、実験で用いられた携帯電話“実機”での最大干渉距離、30cmよりも短い距離である。リスク論によれば一般に、最悪条件での干渉距離に十分なマージンを乗した距離が「安全距離」となるはずである。この要請からは、[ガイドラインの安全距離]≫[最悪条件での干渉距離]が要求されるはずである。実験からの数値を代入すると、自動的に22cm≫74cmとなる。筆者はこの報告書で、“22≫74”なる数学の公理系に、初めてお目に掛かることになった。現実にはさらに、本稿で述べているように反射や重複の影響を考えるなければならない。仮に1台かつ自由境界条件(反射無)の下であっても、このガイドラインは不可解である(総務省の報道資料[11])。

[j]) エレベーター等の内と外で同じ距離を保ち、同一の発振器からの電磁波強度を測定、比較してみればよい。

[k]) International Commission on Non-Ionizing Radiation Protection

[l]) 電子レンジ庫内の発熱等のロスは小さいとしてここでは無視する。

[m]) マイクロ波の熱効果では、生体組織の数度の温度変化が議論されている。常温は300K(ケルビン)程度であるから、そのような温度上昇は、300Kに比べて小さく、その温度上昇状態から、熱拡散で常温に熱緩和する間のエントロピー変化は、電磁波から「熱」へのエントロピー変化に比較して無視する。

[n]) 無論、連続スペクトルとなる熱輻射は除く。

[o]) 付録の「相対性の原理」も参照されたい。

[p]) ここで言及した研究の被曝レベルをSAR値(熱吸収量)で記す。

  ICNIRPガイドライン(マイクロ波)[14]:Localized (maximum) 2 (W/kg) 

                      Whole-body average  0.08 (W/kg)

  Salford's study (血液脳関門)[24]:                           0.02 (W/kg) 前後

  Pomerai(熱ショックタンパク質)[26]:                       0.001 (W/kg)

  TNO study(電磁波過敏症)[15]:  (2.1GHz Side, Max):       0.00008 (W/kg) 

  〔宇宙論と同様に‘桁“が問題で   (2.1GHz Front, Max):      0.00006 (W/kg) 

    あるから、有効数字一桁で記す〕   (2.1GHz Total SAR):   0.0000000003 (W/Kg)

無論、SARは熱的相互作用だけを考えた枠組みから生まれた量である。ここに記された各研究(論文)でSARが併記されているのは、それらが熱的相互作用から生じたものでは“ない”ことを示すためである。いずれも、ICNIRPの定めた基本制限(SAR値)より何ケタも低いレベルであることに注目されたい。本章で述べているように、“電磁波”が“熱”と物理的に異なることを理解すれば、これらの結果は驚くべき事ではない。

[q]) 数学と違い、自然科学に「完全」はあり得ないから、どれほど高度な証明であっても原理的に完全ではなく、なんらかのクレームをつける余地が残る。そのような論争の繰り返しでは永遠に対策は取れず被害の発生、及び拡大を招く[33]。水俣病の判例で、安全に対する「高度な注意義務」という予防原則を負荷発生者側に課している理由はこの点にもある[22]。また一方、人間の遺伝子と実験動物の遺伝子は異なるから、最も厳密な証明は人間を用いた「無作為割付前向きコホート」研究になる。発ガン性を検討するなら、十分多数の人間を被曝群と無被曝群(コントロール)に分け、長期間(数十年)に渡って被曝群には着目する電磁場を浴びせ続け、発ガン率の統計的有意な違いを調べることになる。さて、このような類の“人体実験”は大学の倫理委員会を通る「実行可能な」実験なのでしょうか?

[r]) 航空機の電子機器への障害なども被害が生じる前に防ぐことが出来たはずである。しかし対応措置はすべて「後手」に回っている。現在も続く補聴器などへの被害も、放置されたままである。生体影響は、数十年後に生じる慢性被害もあり、その時「証明」されても手遅れである。

[s]) 天気予報が当たらないのは、気象庁の怠慢ではないのだ。

[t]) 自然科学に完全はないから、正確には「近代科学の体系と矛盾する」が正しい。

[u]) 高校の物理学の試験では、学生は意味(原理)も分からないまま公式だけを覚えて問題を解くことが多い。そのような教育の“ツケ”なのだろうか。無論、原理を理解しようともせず、闇雲に「公式」なるものを用いるなど科学にあるまじき行為である。そのような表面的理解しか持ち合わせない人には、科学を論ずる資格はない。

[v]) 最近公表された携帯電話による被曝と脳腫瘍に関する動物実験の報告書(報道資料「長期にわたる携帯電話の使用が脳腫瘍の発生に及ぼす影響は認められないことを確認−生体電磁環境研究推進委員会の研究結果−」総務省)は大変興味深い。誰が・何時・何処で行った研究結果なのかすら、明らかにされていない(2003年10月現在):

http://www.soumu.go.jp/s-news/2003/031010_1.html。報告書の科学的水準に関しては、国立環境研究所・国立がんセンター等による疫学調査「生活環境中電磁界による小児の健康リスク評価に関する研究」

(http://www.chousei-seika.com/search/words/wordsnet.aspx で検索可能)、

或いはオランダ経済省のTNO Report [15] などと比較、検討されたい。

[w]) 流体現象を考える際、乱流の可能性が意識されていなかったという事実を知ったとき、私たち物理屋は強い衝撃を受けたものだ。これも日常常識で分かるレベル(科学的水準)にさえ達していない「技術」から生じた事故である(洗濯機で乱流が起こらなければ、汚れは落ちない)。当時の技術者たちはStokes 近似の下でのみ有効な取り扱い(描像)を、その適用範囲を全く理解せず用いたようである。科学を基本から理解せず、目先の理論(結果)だけを無批判かつ不適切に用いているという点で、電磁場問題と共通する病根をみる。「木を見て森を見ない」専門家を育ててしまう、科学教育のあり方を考えなければいけない。

[x]) チャレンジャー号事故調査委員会に於いて基礎物理学者ファインマンの果たした役割などにも好例がある(ref. ファインマン:「困ります、ファインマンさん」岩波書店(2001)).

[y]) 同じ動物(細胞)を使っても、研究者の“本気度”によって陽性であるべき結果が陰性になることがある。これは「実験の理論負荷性」と呼ばれる。精神論の話では、もちろんない。同じ患者を診ても、名医と藪医者では診断が違うのだ。

[z])  ホール効果のメカニズムを考えよ。静磁場の計測には、ホール素子が使われている。



[[1]] 国府田隆夫: 「三屋清左衛門的物理屋の体験報告」 日本物理学会誌 58(9) p.700 (2003).

[[2]] 例えば、パノフスキー・フィリップス:「電磁気学」(上・下)、吉岡書店(1967).

[[3]] 以下の論文に誘電損失の詳しい文献がある: J.B. Hasted et al. Far-infrared absorption in liquid water, Chem. Phys. Lett. 118 p.622 (1985); J. Barthel et al. Dielectric spectra of some common solvents in the microwave region. Chem. Phys. Lett. 165 p.369 (1990). この文献は次の論文に、詳しい解説付きで紹介されている.天羽優子: 「水商売ウォッチングLive!」物性研究 76(5) p.643 (2001).

[[4]] 例えば、http://www.orixrentec.co.jp/tmsite/know/know_ism62.html

 http://www.orixrentec.co.jp/tmsite/know/know_ism62.html に解説がある.

[[5]] T. Hondou: Rising level of public exposure to mobile phones: accumulation through additivity and reflectivity J. Phys. Soc. Jpn. 71 p. 432 (2002),(PDF版).

[[6]] BBC News: http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/1961484.stm (2002).

[[7]] これは“笑い”における“ボケ”の手法である. 何か「おかしいな」と思ったことがあれば、「ボケ」によってその“理論”を敷衍してみると本質が見えてくるものである. 例えば、相羽秋夫:「漫才入門百科」弘文出版 (2001).

[[8]] 例えば、土屋賢二:「棚から哲学」 文春文庫(文芸春秋) (2002).

[[9]] T. D. Rossing: The Science of Sound (2nd Ed.) Addison-Wesley, Reading (1990). 音響学で“reverberant field”として知られた現象である(24.2章を参照).

[[10]] 不要電波対策協議会: 「携帯電話端末等の使用に関する調査報告書」電波産業界, (1997). 電波産業会ホームページ(http://www.arib.or.jp)より入手(購入)が可能.

[[11]] http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/020702_3.html (2002年7月).

[[12]] 段ボール箱にアルミ箔を張ることでも実験が可能である. 植田武智: 食品と暮らしの安全 No. 174、日本子孫基金 (2003).

[[13]] 本堂 毅:「反射と重複による電磁場エネルギー重複のメカニズム」科学72(8) p.767 岩波書店(2002); 「携帯電話による公衆被曝をめぐって」 日本物理学会誌 58(6) p.430 (2003).

[[14]] http://www.icnirp.org/pubEMF.htm. ガイドラインは Guidelines for Limiting Exposure to Time-Varying Electric, Magnetic, and Electromagnetic Fields (up to 300 GHz), Health Physics Vol. 74, No 4, p 494-522 (1998). 上記ホームページ上でも入手可能である(日本語訳の問題点については、本原稿の[付録2]を参照のこと).

[[15]] オランダ経済省TNO Report: TNO research into the effects on humans of GSM and UMTS/3G base stations (2003), http://www.tno.nl/en/news/article_6265.html .

[[16]] H. Kimata: Enhancement of Allergic Skin Wheal Responses by Microwave Radiation from Mobile Phones in Patients with Atopic Eczema/Dermatitis Syndrome, Int. Arch. of Allergy and Immunology, 129 p.348 (2002); Enhancement of allergic skin wheal responses in patients with atopic eczema/dermatitis syndrome by playing video games or by a frequent ringing mobile phone, European Journal of Clinical Investigation 33, p. 513 (2003); 木俣肇「IT時代のストレスとアトピー性皮膚炎と笑い」笑い学研究10 p.153 日本笑い学会 (2003). babycom による日本語の解説(データ1を参照).

[[17]] A. Kramer, J. Fröhlich and K. Kuster:  Towards danger of mobile phones in planes, trains, cars and elevators J. Phys. Soc. Jpn. 71 p.3100 (2002) と、このComment論文に対するReply論文T. Hondou:  Physical validity of assumptions for public exposure to mobile phones J. Phys. Soc. Jpn. 71 p.3101 (2002) (PDF版)を参照されたい.

[[18]] 例えば、キャレン:「熱力学」(上・下) 吉岡書店 (1978).

[[19]] 生体における議論については:例えば、日本物理学会編「生体とエネルギーの物理:生命力のみなもと」裳華房 (2002).

[[20]] 欧州議会(EU Parliament)アセスメント報告書: The physiological and environmental effects of non-ionising electromagnetic radiation

http://www.europarl.eu.int/stoa/publi/default_en.htm  (2003).

[[21]] 多氣昌生: 高周波電磁界の安全性(上野、重光、岩坂編「生体と電磁界」)学会出版センター (2003).

[[22]] 宇井純・原田正純、吉岡斉他:「環境ホルモン」Vol.3[特集]予防原則、藤原書店(2003).

[[23]] G. DInzeo et al.: Microwave effects on acetylcholine-induced channels in cultured myotubes Bioelectromagnetics 9 p.363 (1988).

[[24]] L. Salford et al.: Nerve Cell Damage in Mammalian Brain after Exposure to Microwaves from GSM Mobile Phones Environmental Health Perspectives, 111(7), p.881 (2003).

[[25]] 兜 真徳:「電磁波と脳障害: Salfordらの論文について」科学 73(10) p.1273 (2003).

[[26]] D. Pomerai et al.: Non-thermal heat-shock responses to microwave Nature 405 p.417 (2000).

[[27]] 各国の許容被曝規制値に関するデータは、WHOのホームページで検索できる.

http://www.who.int/docstore/peh-emf/EMFStandards/who-0102/Worldmap5.htm .

[[28]] 日本では、このような生物的影響に関する知見があまり知られていない。BBCニュースのホームページなどでは連日のように報道がなされている.http://www.bbc.co.uk/ で“BBC News”を選択し、例えばmobile phone healthを選択すれば187件ヒットする(Dec 2003). 欧米と日本では報道量に格段の違いがある.

[[29]] Department of Health, U. K.: STEWARD REPORT and the UK Government Response to the Report (Department of Health, U. K., http://www.doh.gov.uk/mobile.htm, 2000).特に、以下のホームページにあるSteward Report の第5項 Scientific Evidence には、物理的に興味深い記述が多い. Independent Expert Group on Mobile Phones: Report of the Group (The Stewart Report), Mobile Phones and Health http://www.iegmp.org.uk/report/text.htm .

[[30]] 高周波電磁場の生体影響に関しては、次のような記述もある[多氣昌生: 高周波電磁界の生体への影響、応用物理 71 p.308 (2002)]の 4.1章「不確かなリスクより」:

『試験管内の実験では生体試料は静穏な環境に置かれ、また生命活動による恒常性維持の機能を欠く場合が多いので、ばく露の有無により何らかの違いが生じても不思議ではない。しかし、このような違いは健康にかかわるとは考えにくい。すなわち、「生物学的作用」はあるかもしれないが、「健康影響」ではないという見方が必要である。電磁波のエネルギーが生体内にいくらか進入することは確かであるが、人体の生命活動のダイナミクスと比較して、ほとんど無視できると考えるのが自然である。

 生体は能動的・自律的なシステムである。体表のわずかな温度差が感知されること、あるいは何かを感知したような気がすることをきっかけに、あるいは何かを感知したような気がすることをきっかけに、心理的な効果も手伝って、何らかの影響に結びつく可能性は否定できない。「電磁波過敏症」と呼ばれる症状には、このような効果が関係すると思われる。心理的効果が加味されたフィードバックの影響は、客観的には評価しにくい現象である。このような主観的な効果の扱いは難しいが、電磁波による直接の健康影響とは区別しなければならない。』

 電磁波過敏症が、心理的効果が加味されたフィードバックの結果であるような記述があるが、どのような科学的根拠に基づいているのだろうか? また、試験管内の実験に関して「このような違いは健康にかかわるとは考えにくい」とあるが主語は誰なのだろうか? 筆者個人がそのように考えるのか、それとも科学界全体でコンセンサスのある解釈であると主張するのか?

 木下是雄氏はある雑誌の巻頭言で「科学者と言葉」と題し、次のように述べている(科学2003年10月号[特集:科学と言語]、岩波書店).

『たとえば日本人は「考えられる」とよく書く。「考えられる」は二通りの意味にとれる。一つは可能性(考えることが出来る)、もう一つは純粋の受け身。文脈からは、どちらの意図で書いたのか、たいていわからない。「考えられる」というのは論文では使っていけない表現なのだ。しかし世の中で「考えられる」が多用されるのは、たぶん、これがどちらとも取れる表現だからである。』

[[31]] 沢田康次:「非平衡系の秩序と乱れ」朝倉書店 (1993).

[[32]] 蔵本由紀: 双書 科学/技術のゆくえ「新しい自然学-非線形科学の可能性」岩波書店 (2003).

[[33]] 池内了:「科学の考え方・学び方」岩波ジュニア新書272 岩波書店 (1996).

[[34]] 黒田勲:「信じられないミス」はなぜ起こる--ヒューマンファクターの分析--中労防新書004 中央労働災害防止協会 (2002).

[[35]] 辻村達哉:「地震予知神話とメディア」 科学、73(9), p.1051 岩波書店 (2003).

[[36]] D. Yamada, T. Hondou, and M. Sano: Phys. Rev. E 67, 040301 (2003).

[[37]] A. A. Marino et al.: Nonlinear changes in brain electrical activity due to cell phone radiation, Bioelectromagnetics 24 p.339 (2003).

[[38]] A.A. Marino et al.: Nonlinear dynamical law governs magnetic field induced changes in lymphoid phenotype, Bioelectromagnetics, 22 p.529 (2001).

[[39]] T. Hondou and Y. Sawada: Dynamical Behavior of a Dissipative Particle in a Periodic Potential Subject to Chaotic Noise: Retrieval of Chaotic Determinism with Broken Parity  Phys. Rev. Lett. 75 p.3269 (1995).