電磁場が引き起こすDNA損傷     本堂 毅

               (パリティ2006年1月号掲載)

 

 EUプロジェクト研究のおどろき

 2004年末,EUから発表された研究に世界中の注目が集まった[1].培養細胞に電磁場を曝露したところ,携帯電話(高周波)でも,低周波磁場でも,培養細胞のDNAが切断されたのである[i].いずれも,私たちが日常曝露するレベルの強さで,遺伝子毒性の存在が再現性を持って確認された.

 このパリティ誌の読者のみなさんは,こう疑問を持つかもしれない.「紫外線より波長の長い電磁波はエネルギーが低く,DNAを切断することはないはずだ!」.事実,そのようなドグマは,「生体電磁気学」と呼ばれる分野の専門家たちの多くが持ってきたドグマでもあった.その疑問は後でじっくり議論するとして,まずはEUの研究を少し詳しく見てもらうことにしよう.

 

 EUREFLEX プロジェクト

 REFLEXプロジェクト[ii]は,EUの出資の下に行われた,EU7カ国,12研究所の共同研究プロジェクトである.このプロジェクトが行われるようになった背景には,次に述べるいくつかの研究が蓄積されてきたことによる.1)疫学研究によって,送電線付近などの低周波磁場レベルの高い世帯で小児白血病が統計的有意に高くなることが示されてきたこと.2)培養細胞,動物実験によって,遺伝子発現の変化や遺伝子傷害性(DNA鎖の切断等)が低周波磁場,高周波電磁波への曝露によって生じることが示されてきたこと.しかるに細胞実験・動物実験の結果は,様々な研究室で独立して行われた研究の結果であり,他の研究室で追試を行うと再現性が確認出来ないことも少なくなかった.

 疫学研究は,人間に対する環境影響を直接評価出来る方法であるが,統計技術上,有意性ある議論のためには十分なサンプル数が必要になる.従って,現実に少なからぬ被害者が出るまでは,疫学手法ではその危険性を浮かび上がらせることが困難である.また,がんなどが「疾病」として発生してくるためには,曝露開始から数年(白血病など)から数十年(固形がん)の年月が必要である.その頃に影響が明らかになったのでは,取り返しのつかない被害を未然に予防することは出来ない.これは過去の公害事件の教えるところである.

 一方,発がんや神経変性疾患などを含む慢性疾病は多様な原因から生ずるが,そのような多様性の背後にはREFLEXプロジェクトが述べるように,比較的少数の「きっかけ」がある.すなわち,遺伝子の変異,細胞分化の異常,抑制あるいは過剰アポトーシス(プログラム化された細胞死)等であり,それらは遺伝子への損傷や遺伝子発現(タンパク質生成)の変化を原因として,あるいは伴って生ずる.そして,慢性疾患が臨床的に発現するためには,それらの「きっかけ」の蓄積が必要である.

 REFLEXプロジェクトは,上に述べた慢性疾病を引き起こす分子生物学レベルの生体影響が,既知の急性影響のみを考慮した現行安全基準以下の曝露で生じるか否かを調べる目的で行われた.電磁場の生体影響研究は,これまで再現性の確保が難しいと指摘されていたが,プロジェクトではその背後に,必ずしも統一されて来なかった実験プロトコル,解析手法があることを指摘する.これを改善するため,プロジェクト内で共通の曝露装置を用い,得られた結果をプロジェクト内の他の研究グループで追試を行えるようにした.また,最新の分子生物学に基づく高感度の遺伝子毒性解析などを行っている点も特徴である.電磁場の生体影響に相応しい,高感度の細胞生物学的マーカーを見出すことにより,疫学調査の精度を向上させることも目的とされている.

 

 REFLEXプロジェクトの研究結果

 紙数の関係から,遺伝子損傷を中心に解説を試みる.REFLEXプロジェクトでは,低周波,高周波ともに,曝露によって多種多様に遺伝子発現が変化することも報告されており,遺伝子損傷に留まらない多様な生体影響が示唆されている.遺伝子発現変化については,参考文献にある原報告書を参照されたい.

図1: (原論文 P.61 Figure 15

Figure caption: ES-1細胞をアルカリ,及び中性条件下でコメットアッセイ分析したときの,DNA一本鎖及び二本鎖切断の磁束密度依存性(曝露時間15時間,及び24時間.5分曝露10分中断の連続サイクル).

 

 1)低周波磁場

 まずは,図1を見て頂きたい.これは,ヒト繊維芽細胞に50Hz低周波磁場を曝露した時の,遺伝子損傷を調べたものである.遺伝子損傷を調べる手法としては,コメットアッセイ(Comet Assay)と呼ばれる方法が用いられている.これは電気泳動法の一種であり,環境負荷により核内DNA切断が大きくなるにつれ,コメットテイルファクター(Comet Tail Factor)と呼ばれる値(グラフ縦軸)が大きくなる.グラフ横軸の磁場強度が35μT(マイクロテスラ)に達した以降,統計的有意な遺伝子損傷の増加が示されている(アルカリコメットアッセイ,15時間曝露).この結果は,同じ研究グループ内のメラニン細胞,顆粒膜細胞,及び他グループの顆粒膜細胞,CHO細胞,HeLa細胞などでも確認されている.

 興味深いことは,磁場を間欠的に曝露させたときに影響が生じる点である.連続的に磁場を曝露させた場合には影響が生じず,磁場のオン・オフを繰り返しながら曝露させたときに影響が生じている.また,影響の有無は,細胞の種類にも依存する.

 さて,細胞には遺伝子切断などの傷害を修復する働きが備わっている.これが正しく働き,磁場の影響で生じた遺伝子傷害を修復出来れば,実質的な健康影響は生じないかもしれない.そのためには,染色体レベルの損傷を調べればよい.REFLEXプロジェクトでは,曝露群では非曝露群に比べ染色体異常も数倍のオーダーで,統計的有意に増加する.遺伝子損傷の修復は十分に働かず,その損傷が染色体という,よりマクロなレベルまで残ってしまっている.

 

2)     高周波電磁波(携帯マイクロ波)

 低周波磁場の場合と同様に,高周波電磁波によっても培養細胞には遺伝子損傷が生じる.コメットアッセイでDNAの損傷を調べた結果が図2である.横軸は,現在の安全基準で用いられているSAR(単位質量あたりの熱吸収率)である.現在の日本の安全基準値は2W/Kgであるが,それよりも十分低いSARレベルでDNAの損傷が増加していることが分かる.また,同じ細胞で染色体レベルの損傷も調べられた(表1).高周波でも,DNAレベルの遺伝子修復では曝露による損傷は回復されず,染色体レベルの異常が生じることが分かる.

 今述べたこの実験は5分曝露,10分中断の間欠曝露条件で行われたが,高周波電磁波の場合,連続曝露でも遺伝子損傷の増加が確認されている.また,図の実験は,ヒト線維芽細胞であるが,同プロジェクト内のHL60細胞,ラット顆粒膜細胞でも遺伝子損傷の発生が確かめられている.

 ここで述べた実験事実は,電磁波の生体への相互影響が,電磁波の曝露による生体の発熱ではなく,電磁波自身のコヒーレントな性質(非熱的相互作用)によって生じることを強く示唆する.現在の安全基準は「熱的相互作用」による発熱だけを考慮して作られたものである.

 

図2(原論文Figure 94caption アルカリ条件下コメットアッセイ解析による培養ヒト線維芽細胞のDNA一本鎖及び二本鎖切断の曝露強度依存性.

 

 

<表1>(原論文Table 21caption 高周波電磁波によって引き起こされる培養ヒト繊維芽細胞の染色体異常発生率(GSM basic1950MHz, 1W/kg, 5分曝露10分中断,15時間)

 

 REFLEXプロジェクトの結果は,低周波・高周波ともに,現在の安全指針レベル以下でも,培養細胞に遺伝子損傷が生じることを示している.これは,冒頭に述べた旧来のドグマ「紫外線より波長の長い電磁波はエネルギーが低く,DNAを切断することはない」と相容れない.この矛盾は,どのように解決されるのであろうか? また,どうしてドグマが生じてしまったのだろうか?

 

活性酸素

 REFLEXプロジェクトでは高周波電磁波について,遺伝子損傷のメカニズムに関する実験も行われている.フロー・サイトメトリー(flow cytometry)と呼ばれる手法によって,高周波曝露から活性酸素種(Reactive Oxygen Species=ROS)が生成されることが見出された.ROSの生成は,これを除去する働きを持つスカベンジャー(scavenger)の一種であるアスコルビン酸(ビタミンC)を培養細胞に添加した場合に遺伝子損傷が減少することによっても確かめられた.REFLEXは,ワシントン大学のレイ(Lai H.)らがラットを用いて行った先駆的動物実験(in vivo)の結果[iii]を培養細胞レベルで確認したことになる.

 旧来,DNA損傷はDNA鎖の直接的切断能力を持つ,(光子を含む)高エネルギー粒子によってのみ起こりうると認識されてきた.しかし,培養細胞を放射線に曝露し,曝露された細胞を取り除いた培地を他の(曝露していない)培養細胞に加えた場合,曝露していない培養細胞にも,放射線曝露と同様の遺伝子損傷が起こることが分かってきた.これは「バイスタンダー効果(bystander effect)」と呼ばれる.この事実は,電離放射線によって生ずる遺伝子損傷が,放射線のDNA鎖に対する直接的傷害能によってのみ生ずるとする旧来のドグマを否定するものである.REFLEXプロジェクトで見られた,活性酸素種による遺伝子損傷の発生にも,バイスタンダー効果と共通するメカニズムが示唆される.スカベンジャーの添加による遺伝子損傷の減少も,電離放射線によるバイスタンダー効果で観察されている.

 REFLEXプロジェクトでは議論されていないが,トポ・イソメラーゼ(topo-isomerase)という酵素の働きが,電磁場が関与する遺伝子傷害に関わっているとの指摘も少なくない[iv].トポ・イソメラーゼは生体内に内在している酵素(タンパク質)であり,必要に応じ自らDNA切断を行う働きがある.この酵素が,本来必要ではない場合に過剰発現しDNAを切断してしまうなら,遺伝子傷害性が生じる.一般に,電磁場の曝露は細胞の遺伝子発現を乱してしまう(過剰発現,抑制)働きがあり,トポ・イソメラーゼの発現により不適切に遺伝子が切断され,遺伝子毒性が発生する可能性が指摘されている.

 

ドグマの一人歩き:科学認識のゆがみ

 以上見たように,「紫外線より波長の長い電磁波はエネルギーが低く,DNAを切断することはない」というドグマは,実験によってほぼ否定されつつある.また,メカニズムの上からも,切断可能性が容易に想定できるものであることは上に述べた通りである.

 では,なぜ「紫外線より波長の長い電磁波はDNAを切断することはない」というドグマが生じたのであろうか? 従来までの科学上の知見として明らかであったことは,「紫外線より短い電磁波(電離放射線)がDNAを切断する」という事実である.立ち止まり,ドグマと実験事実の論理的関係を検討されたい[2].筆者は,実験事実からドグマへの論理的飛躍が生じた背景に,我々の科学認識のゆがみを見る.「その時点で我々が知っている事実が,自然現象の全てである」かのように理解(勘違い)する,誤った自然認識である.そのような認識は,時に「権威者」とされる「学者」によって意図的に社会全般に流布される[v].日本の大学においては,理系学部でさえ,科学哲学が十分に議論されていない.科学の基礎である論理的思考力・批判力が,この国では育まれていないのではないか? と,EUの研究を知るたびに考え込む[vi]

 REFLEXプロジェクトの結果は培養細胞への影響であって,多細胞生物である人間にそのまま適用出来る結果ではない.しかし同時に,人間への不可逆な影響を疑うに十分な結果でもある.では,我々の生活と本プロジェクトの結果は,どのように結びつき得るのだろうか?

 

 公衆曝露

 REFLEXプロジェクトの結果は,現在用いられている安全ガイドライン以下の曝露によっても,細胞に遺伝子損傷等の影響が生じうることを示唆する.では,私たちの日常生活では,どの程度の電磁場被曝が生じているのだろうか?

 現在,現行の安全ガイドラインをも超えるレベルの電磁場が日常生活で急増している.電磁調理器,盗難防止装置,非接触型ICカード(電子マネー)読み取り機[3]等,枚挙に暇もない.また,電車内などに於ける携帯電話からも,無視できないレベルの受動被曝が発生する[vii] [viii].疫学研究が示した送電線付近での小児白血病増加レベル(0.4μT, 50Hz)より,数桁高いレベルの電磁場が生活環境中に知らされぬまま増加している[4] REFLEXプロジェクトの結果が(日本を除き)世界中で大きく取り上げられている背景は,この点にある.

 

 日本の研究

 電磁場の生体影響に関しては,日本に於いても優れた研究が少なくない.国立環境研究所のグループは,生活環境中低周波磁場と小児白血病,脳腫瘍に関する疫学研究を行い,小児白血病に関して,それまで世界的に集積されたデータを高度に再現する結果を得ている.また,ごく弱い低周波磁場が細胞のシグナル伝達系に及ぼす影響等,細胞生物学的研究も行っている.北里研究所病院による電磁波過敏症に関する研究,木俣肇博士によるアトピー性皮膚炎のアレルギー反応に対するマイクロ波の影響等,国際的に評価が高い研究がある.京都大学基礎物理学研究所では2003年から毎年,研究会「電磁場と生体への影響」を公開で開催しており,ここで言及した研究について,その報告書の中でも知ることが出来る.

 一方,国の継続的プロジェクトとしては,総務省(旧郵政省)に生体電磁環境研究推進委員会があり,調査研究が行われている.しかるに,この委員会はEUにおけるREFLEXプロジェクトと同様の(特定の省庁の権益・利害関係からの)独立性を有しておらず,その科学的公平性に疑問がある[5] 独立調査委員会等,科学的独立性が保証されるシステムが必要であることを,ここで強調しておきたい.また,ハンセン病問題検証会議[ix]で指摘された報道(ジャーナリズム)の問題についても注意したいものである[6].

 

 最後に

本稿では最新の知見に基づき,日常生活レベルでの電磁場曝露とその生体への影響について解説した.REFLEXプロジェクトの結果からも明らかなように,現在の日本に於ける生活環境レベルでの電磁場への曝露が,培養細胞でDNA損傷を含むストレス性を持つことは間違いないだろう.現在のところ,このストレスと疾病発生との量的関連には不明な点が多いが,がんを含む多様な慢性疾患との関連を疑うに十分な結果である.

電磁場が生体に及ぼす影響には多様な側面があり,また研究も日進月歩である.本問題に興味を持った読者には,海外の報道,そしてオリジナルの研究報告に直接触れて頂くことを強くお勧めする.BBCMicrowave News[x]のホームページなどからも,容易に情報を得ることが出来る.EUの研究報告なども,プレス・リリースから報告書本体まで,様々なレベルのものが公開の原則に基づき誰でも入手出来る形で公表されている.都市伝説や,これに基づく権威者による解説v,批判力のない報道などに惑わされることなく,オリジナル(一次資料)に近い情報を入手し,研究の現状を知って欲しい.本解説がそのきっかけになることを願っている.

 



[1] 日本を除く,世界中のジャーナリズムがこれを報道している.インターネット上で読者自ら確かめられたい。例えばNature, BBC, Times, USA Today).

[2] 「英国人は英語を話す」→「英国人以外は英語を話さない」と同じである.

[3] Suicaの導入に関し,設置者であるJR東日本は大学初年度級の電磁気学さえ顧みていない.http://tabemono.info/chosa/denjiha/suica.html .

[4]小児白血病の疫学研究は,単に送電線付近での小児白血病リスクを明らかにするだけではなく,電磁場の生体影響のいわば「マーカー」若しくは「炭坑のカナリア」としての意味を持っている.しかし,環境学・リスク論研究者の中には,この文脈を無視して言及する者が少なくない.この場合,電磁場のリスクは実際より過小評価されることになる.

[5]この委員会の報告「長期にわたる携帯電話の使用が脳腫瘍の発生に及ぼす影響は認められないことを確認」は、そのタイトルの論理不明性も含め、主張の科学的一般性に疑問な点が多い。報告書には研究機関名、研究者名も記されていない。最近彼らが発表した論文Bioelectromagnetics 26, 59 (2005)も合わせ,読者自らREFLEXプロジェクトと比較対照されたい.http://www.soumu.go.jp/s-news/2003/031010_1.html

[6]報告書では,次のように述べている「現代社会において、発生する問題の多くは、報じられることによって社会に認知される。ハンセン病問題に報道者が気づかなかったということは、社会的に問題を抹殺したのも同然であった。この教訓をどう生かすか。マスメディアの大きな課題だといえよう。」)

 



[i] Pearson H. Mobile-phone radiation damages lab DNA, doi:10.1038/news041220-6  (news@nature.com, 2004).

[ii] REFLEX project (funded by the EU under the programme "Quality of Life and Management of Living Resources", Project coordinator, Prof. Adlkofer, F., VERUM, Munchen), Risk Evaluation of Potential Environmental Hazards from Low Energy Electromagnetic Field Exposure Using Sensitive in vitro Methods (2004).

[iii] Henry Lai and Narendra P. Singh  Magnetic-Field-Induced DNA Strand Breaks in Brain Cells of the Rat, Environmental Health Perspectives, 112 (6), 687-694 (2004).

[iv] WHO Workshop Sensitivity of Children to EMF Exposure (2004) Lightfoodの発表等を参照のこと.http://www.who.int/peh-emf/meetings/children_turkey_june2004/en/index1.html

[v] 津田敏秀:「市民のための疫学入門」緑風出版(2003); 「医学者は公害事件で何をしてきたのか?」岩波書店(2004).

 20064月4日注)津田さんの本は,ニセ科学入門としても,科学哲学入門としても,優れた内容を持つものです.津田さんのホームページにある解説

 http://tsuda.civil.okayama-u.ac.jp/tsuda/book/igakusha/message.html も参照ください.

[vi]  池内 了:「ヤバンな科学」晶文社 (2004)

[vii]  坂田 泰啓:物性研究 83(2) 189-244 (2004). またはhttp://homepage.mac.com/ysaka19/FileSharing2.html .

[viii]第1回京都大学基礎物理学研究所研究会「電磁場と生体への影響」報告書 物性研究 20044月号http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~busseied/ にてオンライン公開予定: 第2回京都大学基礎物理学研究所研究会「電磁場と生体への影響−作用機序の解明に向けて」報告書 物性研究20055月号(物性研究刊行会).

[ix]ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書http://www.jlf.or.jp/work/hansen_report.shtml .

[x] http://www.microwavenews.com .