日本の科学技術基本計画による研究開発投資は1996年から2000年の第一期に17兆円に達し、2001年からの第二期5年では24兆円が見込まれる大きなものになっています。身近な科学研究費補助金だけをみても、平成5年度との比較で平成16年度には約2.5倍にあたる1,830億円に伸びました。これらによって、我々の研究環境はひところのように“世界に比して恵まれない環境下での研究を強いられている”とはいえない状況になっています。このことが、実際の研究現場に如実に現れ、例えば、日本人物理学者による学術論文の数は大きく増加しました。また、物性物理分野を例にとれば、日本で発見された新物質や、我が国の研究者によって意義が見出された物質・試料が世界を駆け巡っている状況にあります。
また、物性物理以外の分野においても、ニュートリノ物理学におけるカミオカンデおよびスーパーカミオカンデの成果、SPring-8におけるペンタクォークの発見、理化学研究所における新元素の発見など世界をリードする成果が次々に生み出されており、加えてJ-PARCの建設等は、今後の日本の科学のさらなる発展を約束しています。
こうした現状は大変喜ばしいことであり、今後、優れた研究が日本から多く生まれるよう一層の努力を重ねなければならないと我々も決意を新たにするところです。
しかし、単に喜んでばかりはいられません。日本の英文の学術誌としてその地位を保ってきたJPSJ(Journal of
the Physical Society of Japan)が非常に憂慮される情況にあるからです。日本物理学会誌59巻9号に掲載された特集記事でも明らかにされているように、米国の学術誌であるPhysical
Review B(物性分野)における日本人研究者の発表論文数が飛躍的に増加した反面、JPSJでの発表論文数が伸び悩み、JPSJに発表されている物性分野以外を含めた全分野の論文数をあわせてもPhysical
Review Bにおける日本人著者が含まれる論文数を下回るようになりました。上に述べた科学研究費の増大に基づいた研究成果および全体の論文数の大幅なのびを考えるとJPSJの地位が大変低下していると言わざるを得ません。これは憂慮すべきことです。
このような事態が生じた背景には、グローバル化が叫ばれ、成果を海外に発信することがその重要な一環と考えられていたことがあります。特に、成果を海外の学術誌に発表することこそが海外への発信であるとする考え方が一部にあるためと思われます。さらには評価の際にそのように誘導された事もあります。海外誌に発表することが優れた成果の証しであるといった古くからの価値観が残念ながら未だにその根底に横たわっているとも考えられます。
国内で発行される学術誌を維持・発展させることには、重要な意義があります。海外誌に投稿した(または、そうせざるを得なかった)論文の掲載をおさえられ、先を越されたとの話は古くから耳にします。種々の発見に関する論文を海外誌に投稿するということは、結果を先に海外にのみ知らせることになり、極論すれば、“豊富な資金(税金)を使った挙句に外国にサービスする”という望ましくない結果になりかねません。このことを考えただけでも、国内学術誌の場所と地位を守っておくことの重要さが理解されます。また、先達の顕著な業績がちりばめられた伝統を守ることも大切です。
これまでJPSJの改革が叫ばれ、専任編集委員長の体制のもと、電子化やレフェリー制度の改善等、多くの改革がなされ、いくつかの問題がとりのぞかれつつあることは周知のとおりですが、そのような努力をさらにすすめ、今後も引き続きJPSJを支え、さらに世界に開かれた学術誌として発展させていくことは、わが国の研究者の責務とも言えるものでありましょう。
日本人研究者の物理分野での実力は、現在、国際的な視点に立っても大変大きなものになっており、重要な成果を海外誌に発表せずに日本の学術誌に出版すれば、海外からの目を十分引き寄せる情況が出来ています。キーとなる論文を普段からJPSJに織り込むことがそれほど困難ではないはずです。そのような行動を積み重ねれば、JPSJに対する評価も十分上がります。国内学術誌発展の流れを作っていく環境が整ってきたこの時期に、適切に対処することこそ、現在、我々に求められていることです。
国内誌を充実させることは、決して国粋主義に凝り固まることではありません。多額の税金を使って得た科学技術情報を初公開する際に海外に審査をゆだねるということは、大きなマイナスです。このままでは科学立国を目指す日本の戦略からは,政府の研究開発費を使った成果は国内誌に発表せよという議論さえ生まれかねません。研究発表の場を外部から、しかも予算措置を通じて制限されるという事態は決して我々が積極的に望むところではありません。
これまで外国誌が重要視されてきた背後には我が国における評価の問題があります。海外で導入されたimpact factorなるものが現在安易な評価を助長しているとよく言われます。また、そのような日本の動向が、それを作った人たちからの失笑を誘っているとの話もよく聞きます。また、昨今の情報の氾濫は、その真偽判別の暇さえ与えないものになりつつありますが、それに幻惑されない目をもって公正な判断を行うことが、評価を行う立場に立ったときの重い責任です。我が国の研究者がこれらのことを肝に銘じて、互いに公正な評価を行う土壌を整備し皆が研究資金に関する不安なしに研究に打ち込めるよう、評価に携わる際には慎重かつ責任ある対応に努めていかなければならないと考えます。また、関係機関にもそのことを求めていきたいものです。公正な評価が健全に機能しない場合には研究者に強い不安や脅えが生じ、いろいろな形で歪みが現れます。NatureやScienceに発表された数多くの捏造論文の例などは、幸いにして、その発覚で長くは影響が残らなかったものの、商業科学誌がもたらした歪みとして、さらには、評価に関する今日的な問題を象徴するものとして重視していかねばなりません。
科学技術において、アジアの中核となるべき我が国の研究者が,研究の質と方向性を、自立して決められるだけの見識を持ち、海外偏重の呪縛から解放された形での物理学研究を展開する場として、日本の貴重な学術誌であるJPSJを維持・発展させていきたいと念じています。出来るだけ広い分野の人々が優れた論文をJPSJへ発表することを切望いたします。
平成17年1月23日
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