市民と研究者の間に生ずる「すれ違い」の体験を元に書いた文章です.養老さんがよく書いてますが,「常識」の共有は社会にとって欠かせないものです.常識が通じなかったら対話は成り立たないからです.
科学と価値判断の独立性は,欧米の研究者・市民にとっては当たり前のことでしょう.しかし,日本では研究者でさえも,この常識をちゃんと理解していない人が少なくありません.
実際,インターネットで「専門家」のホームページを検索すれば,反面教師をすぐに見つけることができます.科学の世界にご本人の個人的価値判断を「混入」させています.
世界に通用する真に独創的な研究者,国民に資する研究者の必要性が指摘される今日,専門家を育てる高等教育のあり方,システムについても,基本から考え直す時期に来ているのではないでしょうか?